1980年『グラス・ハウス』が発表された。これまでのジャズを基調とした洒脱な作風から路線変更し、よりソリッドなサウンドに徹したこのアルバムでジョエルは最優秀ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞する。
『グラス・ハウス』からシングルカットされた5曲のうち「ロックンロールが最高さ」は初の全米シングルチャート1位記録曲となった。
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ビル・マーティンという名前でクラブを中心にライヴ活動を行った彼はその後コロムビア・レコードと契約を更新。1973年にアルバム『ピアノ・マン』で再デビュー。表題曲が全米トップ30のスマッシュ・ヒットとなったことによってアルバムはセールスを伸ばし、彼にとって初となるゴールド・ディスク認定作品となった。
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アーティ・リップという人物に才能を見出されて契約を交わし、彼のプロデュースによって制作された1971年のアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』でビリー・ジョエルはソロ・アーティストとしてレコードデビューする。
しかしながらこのアルバムは、レコード会社による勝手な判断で録音テープの再生速度を上げられてしまい全く別人のような歌声で発表された。不本意な内容の上ヒットにも至らず、人間不信から鬱病が進行し自宅にひきこもりがちになってしまう。
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ハートにファイア(原題、We Didn't Start the Fire )
歌詞の内容から教育番組に使用されたり、教科書に掲載されることもある曲。ビルボードチャート最高位1位(2週)。
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1996年にTBSのドラマ『真昼の月』の挿入歌として採用された。ビルボードチャート最高位10位。
14歳のときにエコーズというバンドに参加し、その後プロミュージシャンとして活動を開始。故郷のロングアイランドを拠点に活躍していたハッスルズのメンバーとして活動したあと、彼と共にグループ内で活動していたドラマーのジョン・スモールとのユニット、アッティラを結成して2枚のアルバムを発表。しかし、アッティラは鳴かず飛ばずのままで結局解散してしまう。
Uptown Girl(アップタウン・ガール)はビリー・ジョエルのシングル曲。1983年にリリースされ、彼のアルバム、"An Inoccent Man"に収録されている。
多数の歌手がカバーしており、主な例として、アーロン・カーター(バックストリート・ボーイズのメンバーニックの弟。)とウエストライフ。また、1988年にローリング・ストーンズが1963年から1988年にリリースしたなかで最も大切な曲トップ100に選んでいる。(99位)
ナチから逃れてアメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人を父として、イギリス系ユダヤ人を母としてニューヨーク市ブロンクスに生まれ、ロングアイランドの新興住宅地に育つ。
子供時代はクラシックピアノを習っていた。
全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカ国内でのレコード総売上第6位のアーティストとなっている。
代表曲に「ピアノ・マン」「マイアミ2017」「ストレンジャー」「素顔のままで」「プレッシャー」「あの娘にアタック」「ハートにファイア」「リヴァー・オブ・ドリームス」、日本での人気が高い「オネスティ」などがある。
ビリー・ジョエル(Billy Joel, 1949年5月9日-)はアメリカのニューヨーク州サウス・ブロンクス出身のロック歌手、ピアニスト、作曲家。本名ウイリアム・マーティン・ジョエル(William Martin Joel)。
ポップで親しみやすいメロディ・ラインと、大都会に生活する人々を描いたメッセージ性の強い歌詞で、1970年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発した。
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