「Right here waiting」は当時、恋人だった妻シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので、個人的にはリチャマの曲で一番好きな曲です。
こんな素敵なラブレターを書くなんて。。。
美しいバラード曲「ライト・ヒア・ウェイティング」、「ナウ・アンド・フォエヴァー」等で、日本のファンをも魅了し、一気にリチャード・マークスの名を知らしめることとなる。
日本企画アルバムのリチャード・マークス・バラッド集『バラッズ』は、日本のみならず、他アジア各地でも超ビッグ・セールスを記録することとなった。
1987年、アルバム『リチャード・マークス』でソロとしてのキャリアをスタートさせ、初のシングル「ドント・ミーン・ナッシング」、「シュドヴ・ノウン・ベター」他、次々とヒットを飛ばした。
結果的にこのアルバムはプラチナ・アルバムとなった。その後のアルバムからも数々のヒット曲を送り出し、マンハッタンとその後移籍したキャピトル・レコード時代に全世界で計2300万枚以上のセールスを記録。
勝ち馬に乗りたいアーティストがレコーディングや発売記念パーティに集合した。 しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。
前2作のような明快なポップ・ロックではなく、やや分かりにくい曲が多かったためファンの期待とズレが生じたことが考えられる。
デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたリチャードは、1991年に満を持してアルバム「Rush Street」を発売。
第一弾シングル「Keep coming back」はあらゆるフォーマットのシングルレコードが準備されるほどだった。
シンシア・ローズはポップグループ、アニモーションのメンバーであり、女優。映画「ダーティ・ダンシング」などに出演している。
初来日公演は、1988年2月。五反田・簡易保険ホールなどを回った。
「Right here waiting」は当時、恋人だった妻シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので、自身最大のヒット曲となったことを契機に結婚した。
完全にスターダムに乗り、セカンド・アルバム「Repeat Offender」からは、「Satisfied(2週連続)」「Right here waiting(4週連続)」と全作を上回るビッグヒットを飛ばした。
ファースト・シングルとなった「Don't mean nothing」がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。
その後、シングルカットされた「Should've known better」「Endless summer nights」も立て続けにチャートインさせ、4枚目の「Hold on to the nights」で遂に全米ナンバーワン(2週連続)を獲得した。
リチャード・マークス(Richard Marx, 1963年9月16日 - )は、アメリカ人のシンガーソングライター。
音楽家の家系に生まれ、10代のうちからライオネル・リッチーらに曲を提供していた。1987年、セルフ・タイトル・アルバム「Richard Marx/リチャード・マークス」でデビュー。
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